【天城ほたるシリーズ②】甦れほたる!

天城ほたるに訪れた危機から。

昔はどこでも飛んでいた蛍が、ある時を堺に少しずつその光は減少し始めるのです。前回も書いた通り、ほたるにはキレイな水が必要です。というよりは、ほたるのエサとなるカワニナがいないとそもそもほたるは成長できません。そのカワニナが多く生息するのはどこでしょうか。

実は、「わさび田」なんです。思い返すと、水はキレイだしわさびがおいしく育つほど栄養があり、なおかつカワニナが好きそうな元気なわさびの葉がそこら中にあるわけです。

お気づきですね。

ほたるにとっては嬉しいカワニナ発生も、わさびにとっては天敵。そんな天敵からわさびを守るために開発されたもの…そう、「農薬」です。農薬が使用され始めると、河川にも農薬が流れ始めます。つまり、カワニナが安心して住める場所がなくなり、それと同時にほたるも…。子供の頃、用水路で見れたほたるはいつの間にか見れなくなってしまいました。山奥の方では飛んでも下流になるにつれほたるの光は薄れていくのです。

わさびは天城湯ヶ島を代表する大切な特産品です。これを守るために農薬を使い始めたことは当時からしたら当然のことでしょう。だからといってわさび田が悪いということではありません。当時はそれが普通でしたもの。自然に対して影響の少ないものが技術開発により進み、わさび以外にも今では「自然農法」と言われる農法も確立されていて今ではほたるになんの影響もありません。昔は普通だったけど研究が進んでだめになっていったものは数多くありますもんね。だめ、と気づいてくれたことに感謝です。

ほたるの危機を救ったのは。

時は平成。観光が団体旅行から個人旅行へシフトをし、天城湯ヶ島の旅館も変化を求められている頃、この現状を何とかしないといけないと考えた旅館組合は、6月の閑散期対策として「ほたる」というキーワードを打ち出しました。昔から当然のようにいたほたるは今は山奥に行かないと会えません。しかし、もともとはほたるが根付いていた土地であることは事実で、そんな土地で蛍が飛べないわけがない。天城にほたるを戻すぞ!!!

そして旅館組合の挑戦が始まります。

天城にほたるを。

ほたるに詳しい大学の教授に相談し、ほたるの餌となるカワニナを集め、ほたるを育てるための水槽や設備を整え、ほたるの育成が始まります。最初はなかなかうまく育てられず、一頭でも飛んでくれれば…。ノウハウがあるわけでもありません。水槽にメダカを入れよう、水草を早そう、川の水を使おう、段々の水槽にしよう、いや個別にしよう、水の濁りは塩でいけるかも、一つの水槽に何頭まで入れてよいのか、石ではなくて、スコリア(赤くごつごつした石)を使おう、去年と同じ水槽ではなく、新しい水槽にしよう…など、手探りで様々な改善を行っていきました。そして、その努力は身を結びたくさんのほたるが飛んだのです。

天城ほたる祭り

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今でも続いている、天城ほたる祭りはこういった取り組みから始まっています。今でいうSDGsですよね。天城ではSDGsという言葉がない頃から、自然を大切にするという思いを持っていたのです。

近年、農薬が自然に及ぼす影響への声や、農薬自体の改良も相まって、わさび田も生かしつつほたるも生きやすい天城になっています。都心部のように開発を進めるのも良いけど、自然を守っていく取り組みは作るよりも難しく人々が何気なく行ってる暮らし方や物の使い方から見直さないといけません。天城の自然がいつまでも美しくあるために、わたしたちにできることをやらないとです。

現在、ほたる祭り会場である出会い橋では、今でも変わらず育てているほたると、今まで飛んだほたるが交尾・産卵し、その地に根付いた自然のほたるが鑑賞できます。「天城にほたるを戻す」という大きなプロジェクトは大成功を収めたのです。この取り組みを行った先人たちに大きな賞賛と尊敬を。